かなり叩かれてた印象
キャラクターも良かったし
コメコメもヤムヤムも可愛いしな!
マリちゃん自体はええキャラしてたんやけどプリキュアが蚊帳の外過ぎた
終盤はそんた印象やったけど中盤までは依怙贔屓かってぐらいフワちゃん活躍してへんかった?推しやからワイ得やが
個人回は良かったとワイも思うで
言う通りここピー回は作画も異様に恵まれてたし
可愛くて楽しくて食べ物の大切さも謳ってて
GOプリ路線カムバック
キャラはかわいいけど際立った印象はないわ
改めて見直すと拓海の存在意義が無さ過ぎて驚く
終盤はプリキュアですら蚊帳の外だし、脚本は何考えてこんな構成にしたのかホント謎
それやったらデリシャスパーティ♡ローズマリーでええやんと思いましたね
ひろプリではこのような格差が出来るだけ無いよう願うものです
>メインシナリオが行き当たりばったりすぎるところを除けば良作やとおもうわ
キャラクターも良かったし
不正アクセスさえなければ、少しはシナリオが綺麗にまとめられていたはず。
序盤に不正アクセスで総崩れになった感あるのが惜しい
しかし次回作のひろプリは、デパプリ以上にプリキュア登場ペースがゆったり進行
懲りないんだけど大丈夫なんかな
プリキュアの登場ペースがバンダイの玩具をいつ発売したいかの都合が全てだから、アニメ作る側はそれに合わせるしかないんやで
デパプリはいいぞ!
でも確かにプリキュアとしてプリキュア分が他より少なめだった気はする
キャラデザは神がかってた
ストーリーはお釜とおっさんの嫉妬で構成されてて酷かったけど
本当の事だから仕方ないけど、言い方!
ゆいの精神性とか、頼りになり過ぎるローズマリーなんかは終盤で成長する前フリだろうと思って見ていたが、まさかあのまま最後まで行くとは・・・って感じてしまった。
キャラやカップリングに重きを置く人と、作劇派との間でかなり評価に差が出てるんだろうなと思う。
ローズマリーはともかくゆいの方は最後に試練があったと思うが
高嶺清麿「43話で、料理に宿るレシピッピや思い出と記憶を奪って、みんなをあんな目に合わせている。あれでも、フェンネルさんは、『ご飯は笑顔』を満たしてあげるべきなのか?…ゆいちゃんならどうしたい?」
和実ゆい「あたしなら…みんなの『ご飯は笑顔』を…おいしい笑顔を…守れるかな?」
高嶺清麿「ゆいちゃんが自分を信じるなら、もう一度ブンドル団のアジトに行って、あのフェンネルさんと戦う勇気があるのなら。」
和実ゆい(勇気を出す顔になる)
和実ゆい&高嶺清麿(間近で、グータッチをする)
高嶺清麿「走るぞ!ゆいちゃん!」
和実ゆい「うん!」
伊賀崎好高「急ぐのだ、そして勝つのだ、ゆいちゃん。あの時のブラペの怒りを抑えた君の判断が間違いではなかった事を証明するのだ。」
試練は確かに与えられていたけれど、果たして乗り越えられていたのか?というと・・・
その辺り映画は良かったんだけど、本編でも説得力ある描写を見たかった。
子供番組としていいなと思ったのはマイラ女王とピーマン回。ああいうヒーローの決め言葉や頑張る姿を見せてくれるのは好き。
らんらんは不遇とよく言われるけどちゃんと成長描かれて好き。
最近は縦軸の分厚めなストーリーは求められてないんやなって気がするわ。
箱庭とキャラ萌えがあればいいというか……
外的要因で瓦解するリスクが高いってことだろう
コロナに東京オリンピックと不確定要素が多く、1話完結色の強い作品にせざるを得ない
場合によっては話の順番を入れ替えても成り立つように
今年になって、やっと年間通したストーリーに重点を置ける環境が戻ってきた
確かにおっしゃる通りだわ。
続けていくことが重要ってスタプリのファンブックで村山さんだか宮本さんだかも書いてたしなぁ
必要なのはエチエチだよ
エチエチが無ければプリキュアとはいえない
お前の思う縦軸の分厚めなストーリーがあるプリキュアの名前を出してみ?
どれもエチエチだから
言うてそのキャラ萌えと箱庭だけじゃ全くダメだから、トロプリもデパプリも歴代最低までに数字落ち込んだんじゃないの?
大人がしっかり責任感もっててよかったし新しい切り口だったなと思う
プリキュアが活躍しないと嫌だって人には不評だったのも分かるけど自分はこういうテイストも好きだったわ
デパプリの良さは前半何気ない回の登場人物にも後半に繋がりや意味があること。例えばゆいの友人のわかなちゃんや和菓子屋、拓海に初恋したともえちゃん等。ゴーダッツの正体のミスリードも良かったと思う。
らんの和菓子大作戦は放送当時は大して評価されなかったが (ここあま回の直後だったりかきプレシャスだったり後期ED初登場だったりであまり本編に注目されなかった)、最後まで観た後で再見すると味わい深い話。
ともえちゃんもいいキャラだっただけに再登場しなかったのが残念。
レシピッピ:存在することによるメリットは無いですが奪われたり期限を損ねると世界中の料理が不味くなったり下手したら消滅します
クッキングダム:元々何と戦ってたのかは不明ですがここの内輪もめで世界が危機に陥りました
この2つはほんともうちょっと何とかならなかったのかとは思う
フェンネルの優秀な弟分の「シナモン」への嫉妬でレシピボン盗難の罪を着せた所が発端
その辺の描写が分かりにくかった。不正アクセスで話数減少の影響もあるが。
ブンドル団結成以前からクックファイターがいたという矛盾はブンドル団に対抗するためにクックファイターが存在しているわけではないのは分かった。
フワさまもフワちゃんもどっちもかわいい。
深澤SDがローズマリー好きなんだろう、インタビュー読んでるとそんな印象になる
内容叩いてる人もキャラデザは良いって言うけどゴテゴテして苦手
マリちゃんええ大人やん
ああいう人に私はなりたい
ストーリーが行き当たりばったりだったり、食がテーマのわりに料理されたもの美味しい美味しい言うだけで、食や料理にまつわる突っ込んだこと殆んど描写しなかったり、スタッフ間で連携取れて無かった感がある
アレルギーや偏食とかはもしストーリーの尺や構成の都合で書ききれなかったとかで子供に中途半端な知識植え付けたら偏見や間違った知識が生まれるリスクがあるし、製作陣としては名前だけ出してそれ以外はノータッチで進めるのがいいと思ったんじゃないかな
長文ごめんね
少し前の記事の鷲尾Pインタビュー内でお子さんにたくさん食べてもらいたいってあったから美味しい美味しいって食べる描写はとても大事だよ
終盤はイマイチだったが、あの空気感好きだったから今年はなんかイマイチに感じる
今年あんま脇役と絡まないし
終盤の唐突感とマリちゃん無双に目を瞑れば賑やかで面白いプリキュアだった
春映画がないとやっぱロスがつらいんだよな
最後はゆいが拓海のほっぺにチューして拓海が真っ赤になるくらいした方が話のしまりがよかったんじゃないかなって思う
幼児向けだから仕方ないのはわかるんだけどね
感謝祭でファミリー公演→歌遊び、プレミア公演→理想のデートの朗読劇だったし
面白くないって意見も十分理解できるし、俺も人に勧めるなら他のプリキュアにするけど、一番好きなプリキュアだわ。何か心が和む。
デパプリからしか摂取できない栄養がある。
デパプリは当たりだけど男が活躍するだけで発狂するようなキモオタが必死に叩いていたイメージ
終盤ゆいが急に性格変わったかのようになったりフェンネルが結局なにがしたかったのかよくわかったが
全体的に面白かったしキャラデザは最高だった
プレシャスの由来やほかほかハートの源やOPの歌詞が相まってあの最終決戦になったのは凄く良かった。あとマリちゃんがあのキャラ付けになった理由も凄く良いものだったね。
ここね、らんらんと違って欠点らしい欠点も無かったから掘り下げようとしたんだと思うけど、ちょっと失敗した感じだよな。
あまねじゃなくて?
名作と評するには色々褒める部分が足りない。しかし駄作と決めつけるほど酷くもない。
そういうなんとも言えない立ち位置。
今後デパプリのまとめができてもそんなにコメントは伸びないだろうね。
デパプリは良くも悪くも尖ってる部分が無さすぎる
語りどころに困る作品だわな
良い部分と悪い部分がはっきりしすぎてて大体の人の見解が一致しそうだから話が広がり辛そうではあるかもしれん
「日常」メインの作風としてはトロと似てるかもだけど、理由は分からんが徹底的に賛否両論になりそうなストーリー、ネタを避けてて、逆に軸が弱い歪な作品になった感じ。トロの方が、映画を含め攻めるところは攻めてた。
結局ローズマリーやブラペにも活躍の場を与えなきゃならない都合上必要以上にプリキュアが弱くされて自分達だけじゃ切り抜けられないピンチも多くなってて、メインキャラの活躍の場が薄くなってたのは本末転倒だったなぁって
中盤以降なんか技出せ弱点付けとプリキュア がローズマリーの指示で動くポケモン扱いみたいだったじゃねぇか
ココナッツみたいな足手纏いもそれはそれで困るけど、かといってそれ以上にメインキャラ抑えてそれ以外のキャラが活躍し過ぎるのもこういう感じでダメなんだなって改めて思ったよ
スタッフインタビューとか見ると「未成年の女子が戦うことの是非」にすごいこだわってた見たいなのよね。だから、子供に戦わせることの意味と罪と責任を負えるキャラとしてローズマリーが作られた見たい。
結局これをどうこうするなら保護者ポジションができるプリキュアを出すしかない
そしてキュアバタフライが翌年に生まれる
あれは自分達の国の事情に本来無関係な世界の未成年者を巻き込んで、ほぼ丸投げして戦わせて、自分は傍観しているって描写になりがちだった過去作のマイナス点を改善したものとして、自分は割と評価している。
自分達の事情にできれば巻き込みたくはなかったとずっと罪悪感を持っている。
プリキュア達がダメージを受けた時は心配し、できる時はかばおうとする。
戦闘で気がついたことがあればアドバイスする。
怪物相手はともかく、人相手にはできれば戦わせたくない。
自分が戦える時は自分が前に出る。
悪事を止め罪を問うことと、憎しみで力を使わないこと、しっかり分けて考えていてプリキュア達にも諭している。
日常の悩みのカウンセリングもする。
プリキュアフォーマットにちゃんとした大人を持ってくるとこうあるべきという理想的キャラ。
…が、それじゃつまらないだろという意見もわからなくもない。
じゃあどうすれば?となるとケンイチ方式で師匠は弟子の喧嘩に出ないとか言って普段稽古つけまくって戦いは前に出ないとか、勝負がついて初めて動くか、自分が動くとあっちの大物も出て被害でまくるからうかつに動けないとかそれっぽい形にする位しか方法がないのがな・・・・
ほんこれ、自分もその点めちゃくちゃ評価してるわ
敵がちゃんと罪を償ってるのもポイント高い
やっぱスタープリンセスって駄目だわ
ゆいちゃんが、他人のことにそれほど関心無さそうだったり、グイグイおせっかい焼いたり、性格が安定していないように見えたのがちょっと気になったな。
制作全工程が感染症警戒期間に入った唯一のシリーズ作品ということで、通常なら綿密に会議をしたり、スタッフで飲みに行ってあーだこーだ話してキャラへの共通理解が深まるところをそれができなくて、打ち合わせが減ったり、設定資料で理解してもらうみたいな形になったのでは?その影響がちょっとあったのでは?とか想像したりもした。
総合的に評価すると下から数えた方が早い位置だとは思う
なんGで叩かれてたんなら良作って事だよ
トロプリが歴代で一番好きなくらいだったから
デパプリ始まってしばらくは「トロプリは良かったなぁ」って思ってたけど
最終的に大好きになったわ
デパプリについては不「コメコメが五段階成長して人間になる」って要素が、一年の話の尺を消費した元凶と思う。これに不正アクセスが重なってしまった。
んで、成長エピソードはカットできないから・・・
あと、「コメコメは最初から人間になれて普通に喋れます」でも、TVも映画も何ら困らんのよな。
つまり、玩具の設定を話の本筋に絡めていないとも言える。
こういう「絶対に避けられない要素」は物語に絡めた方が良かったね
ひろプリのエルは玩具では三段階成長だな。
流石に五段階はリスクあるからやめたか
今年は物語上でのエルの扱いはうまいよね。コメコメとは比較にならんくらい。
あれは成長するってところがキモで、本編でもしっかり成長エピソードをやったし尺を消費したわけでもないじゃん
今年はむしろお世話人形のエルちゃんをお世話するシーンやそもそも出番がほぼなくて大丈夫なのってなってるんだが
拓海とゆいの関係はわかりやすく進展させないのが前提なのはインタビューで言ってたし、そういうカップリングの印象は不正アクセスで5話分が削られてなかったとしてもそうそう変わらなかっただろうな。
そもそも拓海を出した理由は恋愛ドラマをするのではなく「作品に華を出す」以上のことではないらしいし(少年漫画で特に物語的な立ち位置はなく、主人公に好意を持つかわいい幼馴染の女の子を華として出す感じで、主人公に好意を持つイケメンの男の子を出した)。
キュアウィングへの一里塚になったのは結果論であって計画してたわけじゃないと思う。
良くも悪くも拓海は「それだけの存在」ってことだったんだね。
ならば拓海の出る場面における描写の大半がラブコメじみた描写になるのも仕方なしか・・・
でも拓海本人や周辺のドラマ性を史実以上に濃くすると、どうしてもプリキュア側のドラマ性が薄くなっちゃうし、バランスが難しい所だったんだろうね。
(史実以上に濃いドラマ性とは、例えば父親が物語開始時点で行方不明→拓海はゆい達がプリキュアとして活動する以前からレシピボン捜査隊の包囲網をかいくぐりつつ父親の行方を探るためにブラックペッパーとして暗躍していたとか。これなら、レシピボンが盗まれた疑いを父親にかけて鋭意捜査中のローズマリーを拓海が警戒する描写にも、説得力が出たかも。ただあわあわするんじゃなくて「あんた、父さんに何しようとしてんだ!」って感じで牙をむくとか、いろいろアプローチはあったと思えてならない。拓海がゴーダッツに対して怒りを爆発させる前後の流れが、唐突感はありながらも良好だっただけにね)
プリキュアは内容云々語り出すと所詮子供が見るアニメだからに行き着くから無駄だぞ
ローズマリー〉プリキュア〉たっくん
割とこんな感じの格差やったぞ